2019年10月2日。
JR新宿駅での人身事故。
「お客様のモラルに問います」と事故現場の救出作業中、ブルーシート内に差し込んでスマホ撮影を使用としていたお客に対し、異例の呼びかけがありました。
その事故にあったのが、石井宏幸さん。
幼少期からサッカーに親しみ、全盲になってからも選手として、サポーターとしてブラインドサッカーの発展に尽力を尽くされていた、とてもエネルギッシュで活動的な方。
そこで今回は、
石井宏幸さんの
- プロフィール(出身や学歴)
- 経歴
- 全盲になった病気
- 家族
について調べてみましたので、みなさまにシェアいたしますね。
とっても、素敵な熱い方でした。
石井宏幸さんのプロフィール(出身地・学歴など)
それでは、早速プロフィールの紹介です。
名前(読み方) | 石井宏幸(いしい ひろゆき hiroyuki ishii) |
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生年月日(年齢) | 1972年4月20日(47歳逝去) |
出身地 | 神奈川県 |
出身大学 | German language school終了(ドイツ・ミュンヘン) ボストン大学CELOP終了 |
趣味・特技 | ブラインドサッカー、チェリスト、小説家 |
所属 | 日本視覚障害者サッカー協会理事→副理事長 アウスリーベジャパン株式会社代表 |
幼少期からサッカーに親しまれてきたようですが、
英語留学をされていたり、
小説も書かれていたり、
ご自身もチェロを演奏したりととても才能豊かな方のようです!
全盲でチェリストというのは、世界的にもとても珍しいんですって!
石井宏幸さんの経歴は?
ブラインドサッカーを盛り上げてきている人として、業界では名前を知らない人がいない有名な石井宏幸さん。
視力を失ったのは19歳ですが、
それ以前からサッカーが大好きな少年だったそうです。
サッカーを始めたのは小学校1年生。
中学時代にぜんそくを伴ってプレーはできなくなってしまいましたが、日本代表などサッカーの試合を見ることは大好きだったようです。
なんと、1997年のW杯予選(ジョホールバルの歓喜)は現地まで見に行っているほど!
ブラインドサッカーに出会ったのは28歳。
その頃、左目の視力はすでに失っていたのですが、スポーツマネジメント(サッカー)を勉強しようとイギリスで留学先を探していた時に、さらに右目の視力を失ってしまいます.
手術がうまくいかなかったのです。
全盲になり、その後一度はサッカーの道を諦めたそうですが、失明から2年後、インターネットを通じて、偶然ブラインドサッカーを知ったそうです。
当時、ブラインドサッカーは日本でスタートしたばかり。
小さいころからサッカーがお友だちだった石井さんにとっては必然の出会いだったのですね。
その後、2002年5月、
日韓ワールドカップを記念してソウルで行われた日本にとって初の国際試合では、
エースナンバー背番号10として日本代表として出場されます。
その後、合計で10試合ほど国際試合に出場されています。
2002年に、日本視覚障碍者サッカー協会(現・NPO法人日本ブラインドサッカー協会)の創立メンバーとなり、理事に就任され、
2年後の2004年からは副理事長を務め、
さらなるブラインドサッカーの発展のためにご活躍されています。
例えば、盲学校って校庭にサッカーゴールがない学校も多いんですって。
そんな盲学校には、希望した場合、
石井さんが所属する協会からゴールを無償提供するようにされたりしたみたい。
日本で初めて行われた日本選手権では
実行委員長として働かれています。
念願の日本国内での日本選手権!
初めての全国規模の大会を企画・運営するって、めちゃくちゃ大変なエネルギーを使いますよね。
友人や他の支援者と支え合い、無事に開催することができ、
石井さんの人望の厚さや、気持ちの強さを感じます。
そして、2017年9月、アウスリーベジャパン株式会社の設立。
これまでのブラインドサッカー協会での経験をもとに、
イベント・プロデューサーとして活動され、
キャンディーズの解散40周年記念イベントの代表もされております!
こちらの本は、石井さんをモデルに描かれている小説。
東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年に実写化される企画もあったようで、サッカー元日本代表の北沢豪さんもクラウドファンディングで支援されたとか。
『どんな絶望だって、乗り越えられる』と気づかせてくれる小説として、高校生の推薦書にもなっております。
是非、勇気をもらえる一冊として、いかがでしょうか?
石井宏幸さんの家族は?
いろいろ調べてみましたが、石井さんのご家族については詳細な情報はありませんでした。
年齢としてはご結婚されて、小学生程のお子さまがいらっしゃってもよさそうですが、これまでの経歴を拝見する限り、ご自身の成長や、ブラインドサッカーの発展に尽力を尽くされてきていた方なので、良きパートナーと出会うことはなかったのかな?
また詳細が分かり次第、追記していきますね
石井宏幸さんが全盲になった病気って?
石井さんが全盲になってしまった原因の病気は、白内障と緑内障。
19歳の時に白内障を伴い、右目の視力を喪失。
28歳の時には緑内障を伴い、左目の視力も喪失。
この時、イギリスに留学されており『今のままでは視力を失うから手術をした方がいい』と医師に勧められて受けた手術の結果、残念ながら視力をすべて失うことになってしまったみたいです。
白内障と緑内障が、こんなにも若い方に、次々に起こってしまうことがあるのですね。
ご高齢の方の特有の病気だと思っていました。。。
石井さんの経歴を見ていたら、
全盲になって恐らく想像以上の不安や苦しみ、葛藤や苦難で溢れていたのでしょうが、
彼だからこそできる貢献に、
全盲とか病気とかそういうことは感じさせないかっこよさを感じました。
まとめ
それでは今回の記事のまとめです。
石井宏幸さん
◆出身は神奈川県
◆学歴は、ドイツやイギリスの学校を終了されている
◆経歴は、小学生の頃からサッカーを親しんでおり、全盲になってから出会ったブラインドサッカーでは日本代表として活躍され、その後もブラインドサッカーの発展のために現在も尽力を尽くされていた。
◆全盲となった病気は白内障(右目)→緑内障(左目)
◆家族については、現在情報がなしも
この度、非常に悲しい出来事が起こってしまわれました。
事故の原因や状況についてはまだ詳細が分かっておりませんが、石井宏幸さんのご冥福をお祈りいたします。
そして、彼の思いを引き継いで、今後も日本でブラインドサッカーがますます発展していくことを願います!
まずは、「サッカーボールの音が聞こえる」の映画化!!
それでは、今回も最後までお読みいただきありがとうございました!